「あなたとわたしとハンカチーフ」
~ハンカチの折り目の数だけ節目あり~
第四章
─あなたに貰ったハンカチで、あなたの涙を拭いた─
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2021年。
人類にとって試練の年であり、それは紛れもなく羊介と麻子にも、ふりかかっていた。「当たり前」という言葉が、どんなに当たり前ではないかと言うことを、誰もがかみしめていた。
ふたりは還暦を迎え、洋介は長らく勤めた会社を定年退職した。子供はあっという間に育つもので、数日後には結婚式をひかえている。
その日、麻子は結婚式の準備を手伝うために、朝から出かけていた。羊介はひとり家で、最近始めた俳句を詠もうと、筆とペンを用意して思索に耽っていた。
午後になると、さっきまで明るかった空が一気にグレーの幕を広げ、次第にポツポツと雨を降らせた。
「あぁ、洗濯物……。」そう呟くと、急いでベランダに向かう。
ふと、シーツの隙間から見覚えのあるハンカチが顔を覗かせた。
「これは……。」
そう言って手にとったのは、銀婚式のとき、羊介が麻子にプレゼントをした、レースと刺繍がほどこされたハンカチであった。
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そのとき、羊介の頭の中で走馬灯のように、昔の記憶がよみがえった。
梅雨に入り、鮮やかなグラデーションを見せる紫陽花が、あの季節をいっそう思い起こさせた。
振り返れば、ハンカチとともに、人生の節目を迎えてきたような気がしていた。
──麻子と出逢った、あの雨の日。
ぼくのハンカチで彼女は雨の滴を拭っていた。
──プロポーズしたあの夏のはじまりの日。
付き合ってから最初の誕生日にプレゼントした、当時流行りのネコが描かれたハンカチで、彼女は一筋の涙を拭っていた。
──子供がまだ小さかった頃、千本浜で転んで大泣きしたあの日。
かわいいハンカチの柄をみて、ピタッと泣き止んだあの子に思わず笑ってしまったこと。
「ハンカチの、折り目の数だけ、節目あり。」
ぼそっと呟くと、思わず自分でもにやけてしまった。
そして、俳句コンテストに応募するために筆を走らせる。液晶テレビからは人気ドラマ、通称「追い恥」の主演を務めたふたりの結婚報道が流れていた。羊介は、数日後についに巣立っていく娘と重なり、視界がぼやけて霞んでいくのを止めることはできなかった。ハンカチを不器用にたたみながら、「大きな節目だな」と呟き、ほほえんだ。
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梅雨の晴れ間。
6月の上旬、ついにその日はやって来た。
朝から羊介は、心臓が波打つのを止められなかった。
そんな彼に、麻子は後ろから「ほら、早く支度してよもう……!」と急かした。分かってはいるものの、感情が昂って手元が狂い、うまくネクタイを締められない。何年も、毎朝行ってきたはずなのに。
「ほら、こっちをむいて。」
そう言って麻子は、彼のネクタイをあっという間に締め上げた。
麻子は思った。彼は、35年前のあの夏の日と同じ顔をしていたのだ。
熟れたコーヒーの実のような顔色をした彼を見て、ついおかしくて笑ってしまった。
そして、麻子はポケットからスマホを取り出し、パシャっとその姿をおさめた。
「さぁ、行きますよ。」
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鐘が鳴り響き、梅雨とは思えぬような気持ちの良い青空が広がっている。
ふたりのたからものは、しあわせそうな笑顔でこちらに小さく手を振り駆け寄ってくる。
羊介のブラックコーヒーのような瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「もう!お父さん、泣きすぎなんだから~」
娘の晴れ姿に嗚咽する羊介を見て、麻子はハンカチを優しく、羊介の頬にあてる。
「あなたったら……ほらほら。」
そんな麻子の頬にも一筋、甘い涙がつたう。
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その夜、羊介は俳句コンテストに応募するため、再び筆をとっていた。
いつも以上に、額に汗を浮かばせながら。熱心な羊介の様子を見つめながら、麻子は微笑み、コーヒーを煎れる。
熱々のコーヒーをテーブルに置くと、「サービスだよ。」と言って、おどけてみせた。羊介もまた、微笑みながら「角砂糖は、今日はひとつで充分かな?」と返す。
いつもよりいっそう甘く感じるコーヒーを飲みながら、ふたりは、テーブルに置かれたハンカチを見つめて、微笑み合うのであった。
ー完ー
撮影協力:殿岡服飾工業株式会社
ロケ地:アクアガーデン迎賓館 沼津
https://www.tgn.co.jp/hall/shizuoka/agnu/
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< STAFF ROLL >
脚本・監督・演出 しばちゃん
企画 あっしー
編集 しおちゃん
美術 さいちゃん
撮影 コミュニケーターのみんな
【 撮影協力 】
布と土arc.
芦澤有里
maku
殿岡服飾工業株式会社
欧蘭陀館 香貫店
愛鷹広域公園
アクアガーデン迎賓館 沼津
【 友情出演 】
イモテリア 後藤師珠馬
4月に結婚式を挙げた米山夫婦