ハンカチーフ物語 第一章「あなたに借りたハンカチで、雨を拭いた」

沼津コートPOP UP「ハンカチーフ物語」

特別連載小説企画

「あなたとわたしとハンカチーフ」

~ハンカチの折り目の数だけ節目あり~

 

第一章

─あなたに借りたハンカチで、雨を拭いた─

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1984年。

あの有名なアニメが公開されたこの年、しとしとと雨が降る、穏やかな昼下がり。梅雨前線が停滞し、紫陽花にとどまるしずくが、季節の変化を告げている。

 

そんな、なんでもない日常の中で、

ふたりは出会った。

 

ーー青木羊介。

沼津市出身の彼は、どちらかというと口数も少なく実直な男であった。思っていることはあっても、なかなか言い出すことができない。

そんなどこか頼りない部分もありながらも、東京でサラリーマンとして働く彼は真面目に仕事へ打ち込むかたわら、馴染みの喫茶店でコーヒーを飲みながら一息つくのが楽しみであり、ひとりの生活をそれなりに過ごしていた。

 

ーー白山麻子。

彼女は、自分の意見をはっきりと言う性格で、

負けん気が強く、思ったことはすぐ顔に出てしまう素直な女性。

大自然のドキュメンタリー番組を見ては涙を流すことも。箱入り娘だが自立心が高く、親元を離れ、都内の中小企業に勤めながら、休日は、趣味の喫茶店めぐりを楽しみに、のびのびと暮らしていた。

 

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すっかり西日が落ちた、梅雨の日の夜。バス停には、利用者が多く列をなしていた。

羊介は、出張で訪れていた沼津で一仕事を終え、東京への帰路につくため、沼津駅行きのバスの列へと並んだ。

実家の両親には、「孫の顔がみたいわね」などと小言をいわれながらも、自分が何よりそれを望んでいることをあえて言うことはなかった。

駅から数分歩いたところにある、狩野川沿いの実家に寄るべきか寄らざるべきか。

せっかく近くまで来たのだから、顔ぐらい見せるのが孝行息子というべきか。

そんなことを考えながら、ぼんやりと空を見上げた。

どんよりとした灰色がひろがっている。

雲間から光が差すこともあったが、変わりやすい空模様が雨音を次第に増した。

ザーザーと降り注ぐ雨に、羊介のグレーのスーツは、肩口からみるみる墨色へと変化していく。

憂鬱な気持ちに支配されかかっていたそのとき、どどーんっと、何かが背中にぶつかった。

振り返ると、この突然のどしゃ降りの中、必死に走ってきたであろう若い女性の姿があった。

彼女は、休日の楽しみで沼津に喫茶店巡りに来ていた、その帰りに突然の雨に打たれたというわけだ。

 

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息を切らしながら、すみませんとあやまりつつ顔をあげた麻子のダークブラウンの瞳に、羊介は、時が止まったように感じた。

彼女の小さなポシェットにぶら下がる、流行りのエリマキトカゲのキーホルダーは、走ってきた余韻を残し、まだゆらゆらと揺れていた。

それがとてもスローモーションに見えたのは何故だろう。

「あの。よろしければ、ハンカチ使いますか……?」

「あ……ありがとうございます。」

ハンカチを手渡す羊介の手はすこし震えている。

人生で初めての一目惚れであった。

ふたりは同い年ということと、喫茶店巡りが趣味という共通点から、会話も弾んだ。

沼津駅で、バスから東海道線に乗り換えた後も、車窓を背に横並びに腰かけ、どこどこの喫茶店のフルーツパフェは絶品だとか、あそこのマスターはこだわりが強すぎるだとか、他愛のない会話をしている内に、まるでジェットコースターのように景色は過ぎていった。

羊介は実家に寄ることもすっかり忘れていたし、ふと気づけば車内アナウンスは、終点東京を告げていた。

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東京駅で麻子と別れ、羊介は、勇気を出して聞き出したポケベルの番号を書いたメモを握りしめていた。

その夜、羊介は実家に立ち寄らなかったことを詫びるためダイヤルを回す。

母はまたお決まりの、「孫の顔が早く見たいわね」を呟いていた。

「あぁ、うん。」と答える羊介の返事は上の空ではあったが、どこか弾んでいた。

クシャクシャになったメモ書きを見ながら、羊介は今日が雨でよかったと、星がまたたく空に向かって、静かにつぶやいた。

BGM代わりに電源をつけていたブラウン管からは、ザ・ベストテンが流れている。人気司会者が勢いよく言い放っていた。

「第3位は……危険地帯の、『恋の予感』です!」

それは羊介の心を、大きく揺さぶった。

 

→第二章へつづく

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撮影協力:

布と土arc.  

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イモテリア  

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ロケ地:

沼津市 東方寺前

ららぽーと沼津 沼津コート